英会話クラスだより +

追記

マイケル・モーパーゴ直筆のサインが入った『戦火の馬』は、この物語の執筆のきっかけに強く関与した「街の子供たちの農場」にある売店で購入することができます。

『戦火の馬』は、2011年2月11日から10月30日までロンドンの帝国戦争博物館行われた「むかしむかし戦争の時代に - 子供のための一級の戦争物語」で取り上げられた5冊の本の1つです。この展示会では、『戦火の馬』の歴史的背景が細かく説明され、モーパーゴ自身の原稿も展示されました。

『戦火の馬』が1982年に初めて出版された時は、数えるほどの言語にしか翻訳されませんでしたが、スティーブン・スピルバーグによる映画化への関心への高まりの副産物として、2011年末に封切される映画に合わせようとする翻訳権の取得要請が『戦火の馬』の出版社にあふれかえりました。
『戦火の馬』の前書きに触れられている絵、どこかの村の公会堂にかかっているニコルズ大尉が描いたジョーイの絵は、モーパーゴの創作です。しかし、劇場版の「戦火の馬」の成功以来、多くの観光客がモーパーゴの住んでいるアイドルスレイの村を訪れては、公会堂の絵を見たいと尋ねるので、モーパーゴは2011年にアーチストに頼んで絵を描いてもらいます。モーパーゴは、スティーブン・スピルバーグによる『戦火の馬』の映画で「馬の毛並みと化粧」のチーフ・アーチストでもあったアリ・バニスターを、そのための馬の画家として使っています。アリ・バニスターは映画の中にも出てくるジョーイのスケッチも描いているアーチストです。

舞台化と映画化

『戦火の馬』はニック・スタッフォードにより戯曲化されました。演劇は、「軍馬ジョーイ」と呼ばれるのですが(英語では書籍と同じ「War Horse」)、ロンドンの国立劇場のひとつオリバー・シアターで上演されました。2007年10月17日に開演した興業は絶大な賞賛で迎えられました。ハンドスプリング・パペット・カンパニーが製作した実物大の馬の人形は、そのデザインで、オリバー賞、イブニング・スタンダード・シアター賞、ロンドン・クリティックス・サークル賞を受賞しました。
2010年2月には、「軍馬ジョーイ」は、合衆国ニュー・ヨーク州ニュー・ヨーク・シティーのブロードウェイで上演することが発表されています。

2010年に、スティーブン・スピルバーグ監督の映画化の発表があり、リチャード・カーティスとリー・ホールが脚本を書くことになりました。ジェレミー・アーヴァインの主演が決まりました。2010年6月17日には全配役が決まり、2011年12月25日クリスマスの日に配給されています。

『戦火の馬』のラジオ版は2008年11月8日(日曜日)にBBCで放送されました。声優はアルバート役にティモシー・スポール、母親役にブレンダ・ブレシン、雷軍曹役にボブ・ホスキンスが抜擢されています。このラジオ劇は2011年11月11日の第1次世界大戦の終戦記念日にやはりBBCから再放送されています。

『戦火の馬』は、1982年にイギリスの権威ある文学賞で文学性の高さと読書の楽しみを与えることができる作品に贈られるウィットブレッド賞を受賞しています。

『戦火の馬』の裏話

マイケル・モーパーゴは、アイドルスレイにあるパブで飲んでいた第1次世界大戦のある退役兵と会いました。その退役兵はデヴォンで小作農として馬を使って畑仕事をした事のある人でした。そのあと、モーパーゴは、世界大戦で世界中が苦しんだ話を馬の目を通して語る話を考え始めましたが、本当に書けるかどうか自信がありませんでした。
モーパーゴは、第1次世界大戦で騎兵隊にいた、別の村人、バジェット大尉とも出会い、その村に軍隊が馬を買いにきたことを覚えているさらに別の村人とも会いました。モーパーゴは、『戦火の馬』の献呈の辞で、3人をアルバート・ウィークス、ウィルフレッド・エリス、バジェット大尉として感謝を述べています。

モーパーゴは、妻と共に、街の子どもたちが1週間田舎の農場でクラス慈善事業「街の子供たちの農場」を始めました。2010年12月にBBCのラジオ番組でインタビューを受けたモーパーゴは、『戦火の馬』を書きあげることができると自分に確信させた「街の子供たちの農場」でのあるできごとについて語っています。

「何年も何年も何年も前に、ビリーという名の少年がバーミンガムから農場に来たのですが、付添いの先生方はその子が吃音症だと忠告してくれたのです。そしてその子に直接何かを聞かないようにしてくれ、その子は話せないので、話すように仕向けられたらこわがってしまうというのです。先生方が言うには、その子は2年間学校にいるのに一言も話したことがないので、その子と直接話さないでくれ、そうしないと、バーミンガムまで逃げかえってしまうからというのです。バーミンガムはデヴォンからは遠いので、先生たちはそんなことはおきてほしくないのでした。そこで、私は言われた通りにし、離れたところで後ろから見守ることにしたのです。そうする中で私はその子が、全く言葉を発しないものの動物たちと素晴らしい関係をつくりあげること、他の子どもたちには決して話さないことを知ったのです。そして最後の晩がきた時、いつもしている事なのですが、子供たちに本を読んで聞かせようとしたのです。それは11月の暗い夜で、みんなで住んでいるビクトリア調風の大きな家の裏庭に行きました。すると、そこにビリーがいて、厩舎の扉のそばにスリッパをはいて立ちまがら、カンテラがつりさげられている下で、話しているのです。馬に向かって話しては、話しては、話しをしているのです。そして馬は、ヒービーという馬ですが、首を突き出して、厩舎の中から首を突き出して、ビリーの話を聞いているのです。その時気付いたのですが、ヒービーの耳はビリーに向けられ、ビリーが話し続けているあいだ自分はそこにいないといけないことを知っていた・・・少なくとも私はヒービーがそのことを知っていることが分かったのです。なぜなら、ビリーは話したくて、ヒービーは聞きたいからです。私はこれは少年と馬の交流なのだと思いました。そこで私は先生方のところに行き、野菜畑の中に連れてきて、そこから陰に隠れて立って、ビリーが話しているのを聞いたのです。先生たちは、一言もしゃべれなかった少年の口から、言葉が流れるように出てくるのを聞き本当に驚いていました。恐怖心が全てどこかに行き、少年と馬のあいだに緊密な関係ができ、互いの信頼が築かれつつあるのを見た私は、心の底から感動し、第1次世界大戦を馬の目からみて、馬に大戦の話をさせる物語を書くことができる、そう書くことができると思いました。その話で兵隊の話を語ろう。イギリス兵、ドイツ兵、そして主人公の馬がいく冬か共に過ごしたフランス人の家族、そして第1次世界大戦でどんな苦しみがあったのかだれにも分かってもらえることができるだろうと。そうして、私はある意味でその小説を書いてみることに賭けることにし、6ヶ月間それこそ馬のように物語を書いたのです。」

別の記事では、モーパーゴはビリーというのはその子供の本当の名前ではないと言っています。モーパーゴは回想します。「この少年が農場でその日にした事を何から何まで馬に話しているのを聞いている時に突然、馬はその子の言葉をすべて理解しているわけはないが、その子のために自分がそこにいることが大事なのだという事を知っているということに気づいたのです。」

退役兵にあった事と、ビリーと馬のヒービーを見た後の3番目のインスピレーションは、モーパーゴの妻クレアがおいたままにしていた古い油絵でした。「その絵は、ものすごく恐ろしく心を不安にさせるような絵でした。壁にかけておきたいと思うような絵ではありませんでした。その絵は、第1次世界大戦で馬が有刺鉄線のフェンスに突撃しているところを描いていたのです。その絵は、私の頭の中から離れませんでした。」その絵は、F・W・リードが1917年に描いたもので、イギリス軍の騎兵隊がドイツ軍に突撃し馬が有刺鉄線に絡まってしまったところを描いていました。ヒントを得たモーパーゴは、『戦火の馬』の前書きでその架空の絵について書いています。
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・・・しかし、少し注意して見れば、ブロンズの額縁についた銅板に、こんな文字が刻まれているのがわかるはずだ。

ジョーイ
ジェームズ・ニコルズ大尉 画 1914年秋

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(『戦火の馬』マイケル・モーパーゴ / 佐藤見果夢 訳 / 評論社 / ISBN978-4-566-02418-2)

あらすじ

デヴォン
デヴォン

第1次世界大戦が勃発すると、アルバートの愛馬ジョーイは、騎兵隊に売却されフランスに送られます。ジョーイに乗っていたニコルズ大尉は、騎乗している時に殺されます。ジョーイはすぐに戦争に翻弄され始め、通常でない試練の旅を経験することになり、どちらの軍にも使われますが最後には停戦区域でどの軍にも所属しない状態でいることになります。
一方、アルバートはジョーイを忘れることができず、イギリス軍に志願できる年齢にもなっていなかったのですが、ジョーイを探し出しデヴォンに連れ帰るという危険な冒険に取り掛かります。

戦火の馬

『戦火の馬』は、マイケル・モーパーゴが書いた児童向け小説です。『戦火の馬』は1982年にイギリスでケイズ・アンド・ウォード社によって初めて出版されました。

ケンスケの王国- はじめに

『ケンスケの王国』はマイケル・モーパーゴが書いた児童向け小説です。原著の挿絵はマイケル・フォーマンが描いています。1999年に初めてエグモントUKが出版しましたが、その後様々な出版社からも出版されています。

感動の結末と人生を考えさせる物語

太平洋の孤島で少年と老人が心を通わせる

大海原の孤島で助けられた「ミカ」。
ケンスケはなぜ「ミカ」を憎むのか?そして、なぜ憎む「ミカ」を生かしておくのか?

心が通じ合うようになり、明らかになる老人の過去。
故郷に帰り、父さんや母さんに会いたい「ミカ」。
老人との深い友情と、帰りたいという思いの板挟みになる少年。
卓越した話し手マイケル・モーパーゴが、日常生活から劇的な南の島の感動のクライマックスまで読者を引き込んでくれる。

  1. 「レッド・ハウス子どもの本賞(イギリス)」受賞
  2. 「ソルシエール賞(フランス)」受賞

ある読者の感想:
途中から悲しくて読みを止めてしまいました。
コーラのビンを犬が拾ってきてからの、ケンスケとマイケルの切なさがジンジン伝わってきました。
言葉に出来ないです。
これは、読んだ人が深いところで感じる何かだとおもいます。
(Amazon.co.jpから)

『ケンスケの王国』は、2000年に、レッド・ハウス児童文学賞を受賞します。

あらすじ (*注意!!* 結末までわかります)

マイケルという名の少年が、両親が二人とも仕事を失い7つの海を航海することに決めた後、ペギー・スーという名のヨットに乗って、家族で世界を旅するという所から話は始まります。マイケルは、本当なら学校で習う事を両親から教えてもらい、その一方で秘密の日記をつけています。家族3人と飼い犬ステラはイギリスから、アフリカ、南アメリカ、オーストラリアへと船を進めます。ある番、見張り番を務めている時に、マイケルとステラはパプア・ニュー・ギニアの近くで波にさらわれて海に落ちてしまいます。マイケルとステラの意識が戻ると、太平洋にある長細いピーナツの形をした島に流れ着いていたのです。

マイケルは島で生きのびようともがきましたが、食べ物は決まった時間に届けられました。ケンスケという日本人の老人が島に住んでいたのです。ケンスケはマイケルが生きのびられるように助けます。ケンスケはルールを作りますが、それはマイケルには不必要なものにしか思えませんでした。しかし、海で泳いではいけないという警告にもかかわらず、海に入ってクラゲに刺されたマイケルをケンスケが救ってからは、その考えも変わります。
マイケルはケンスケに英語を教え、ケンスケはマイケルに絵の描き方、魚の釣り方、食べ物と水をどこで手に入れるのが一番良いかを教えます。やがて、ケンスケは医者であり、第2次世界大戦の生き残りであり、そして家族は1945年8月9日に長崎に落ちた原子爆弾の犠牲になったことがわかります。
時間がたつに連れ、ケンスケはマイケルがどれだけ家族に会いたがっているかを理解します。そこで、一緒に船に合図を送れるように狼煙あがるばかり薪の山の準備を火をつけるばかりにして終えるのですが、長い間船は現れません。しかし、やっと、マイケルは中国の帆船を見つけ、ケンスケに狼煙を上げる薪の山に火をつけても良いか相談します。ケンスケは、その船が密漁者のものであることに気づき、ケンスケとマイケルは急いでオランウータンをほら穴に集め、船の脅威から守ります。二人はうまくオランウータンを守ることができそうでしたが、ケンスケがキカンボーと呼ぶ一匹のオランウータンだけが見つかりません。密漁者の船が去った後に、テナガザルが殺されているのが見つかりましたが、キカンボーは無事でした。
次に見つけた船は、密漁者のものではなかったので、二人は狼煙を上げました。船の乗組員は狼煙をみとめ、方向を変え、島の方に向かってきます。船が近くまで来ると、船はペギー・スーであることがわかり、マイケルの両親も乗っています。ケンスケは、この時、それまでの考えを変え、マイケルと一緒に島を離れることはしないことにします。
ケンスケはこういいます。
「ここは私の場所だ。ケンスケの王国だ。王様は王国にいて、島の人の面倒を見なければならない。王様は逃げない。そんなことは不名誉なことだ。」ケンスケは、マイケルにケンスケが死ぬであろうこれから10年間はすべてを秘密にするように、といいます。マイケルは船がついた海岸に走り、両親と再会します。

マイケルの秘密の日記が出版された4年後、マイケルはケンスケの息子から手紙を受け取りました(ケンスケの息子はまだ生きていたのです)。マイケルは、手紙を受け取ってから1カ月後に日本を訪れています。